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【平安の贴图】平安时代清凉殿

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一楼给百度


1楼2013-02-21 20:42回复









    2楼2013-02-21 20:45
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      紫宸殿内里图


      3楼2013-02-21 20:48
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        这是床

        这是天皇的房间图


        牛车

        平安时代大臣们房子的内里图
        殿下的御食

        也是清凉殿内里图

        这些都是日本网站挖来的


        4楼2013-02-21 20:59
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          这是祝词,我懒得开新贴<直接贴在这吧


          5楼2013-02-21 21:03
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            以下是收集来关於清凉殿的日文资料
            ******************************************
            「清冷」「西凉」と书くこともある。
            南北九间、东西二间の身舎で、天皇の日常生活の御所となった。(中殿と呼ばれるようになる)(しかし内裏火灾(1039年)以降ほとんど使われなくなった。)
            桧皮葺の屋根で建物は间仕切りが多く复雑で、大きくわけると昼御座(ひるのおまし)や殿上などの南半分と
            东孙庇のある东面が公的性质が强いのに対し、夜の御殿(よんのおとど)や弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)などのある北半分と台盘所(だいばんどころ)のある
            西庇は天皇のプライベートな空间となる。二间は天皇の护侍の
            夜居の僧の诘める所になる。
            殿前の庭には 呉竹、汉竹(かわたけ)红梅その他の树木が植えられていた。
            正月の 小朝拝をはじめ、
            叙位、 除目、官奏、诗歌管弦の游びなどの公事や行事が行われたのは主に南半分だった。
            后凉殿との境に朝饷壷と台盘壷という内庭がある。
            昼御座(ひるのおまし、ひのござ)
            南北五间、东西二间の母屋で、天皇は日中昼御座に着座して孙庇の侍臣から政务を闻いた。
            南北五间の中、第一の间は母屋への通路、第二の间は御帐のまといい、奥に天皇御座所の 御帐台がある。第三の间の奥には、
            大床子三脚があり、第四の间の奥には
            御厨子がある、第五の间の奥には四季 屏风を立て、日记
            御厨子二脚が置かれていた。
            →清凉殿间取に戻る
            石灰坛(いしばいだん)
            天皇が毎日伊势神宫や贺茂神社、内侍所等神镜を遥拝した所。床の高さまで土を盛り石灰(漆喰)で涂り固めてある。
            石灰坛の南の一间に尘壷(ちりつぼ)があり、径60cm程の朱涂りの丸盖が置かれている。尘をはき入れるためでもあるが、地炉ともいい冬には火をおこし、また料理をしたこともある。
            →清凉殿间取に戻る
            落板敷
            第一の板が、置いてあるだけで、打ちつけてないので、踏めば鸣るようになっていた(鸣板)。伺候した人が通过する时にこの板が鸣り、参上を知らせた。见参の板ともいう。
            →清凉殿间取に戻る
            夜の御殿(よるのおとど,よんのおとど)
            天皇の寝室で涂笼になっている。四方に 妻戸があり、南は一间の大妻戸がある。中央に
            帐台を设ける。御帐は东枕として、枕もとの
            二阶厨子には、 三种の神器の剣玺を安置した。帐台の西と南には畳を敷いて
            女房の座とした。部屋の四隅には
            灯笼を天井から吊るし、灯火は夜通し消えないようにする。
            →清凉殿间取に戻る
            弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)
            藤壷上御局(ふじつぼのうえのみつぼね)
            女御 が清凉殿に参られた时の控え室。弘徽殿、藤壷は、女御达の中で胜れているので、代表的に付けられたもので、その他の
            女御、 更衣もここに伺候した。
            →清凉殿间取に戻る
            御汤殿间(おゆどののま)
            天皇が御汤を召される时の女官の诘所。
            →清凉殿间取に戻る
            御汤殿上(おゆどののうえ)
            天皇が毎朝辰の刻に御汤を召される所。浴槽の大きさは长さ五尺二寸(约157cm)、広さ二尺五寸(约76cm)、深さ一尺七寸(约52cm)、厚さ二寸(约6cm)だった。
            →清凉殿间取に戻る
            御手水间(おちょうずのま)
            天皇が毎朝整髪し、装束を着用し、手水を使われる所。 半挿や 角盥が置いてあった。
            →清凉殿间取に戻る
            朝饷间(あさがれいのま)
            天皇が女官の给仕で略式の食事をしたり、また髪をなおしたり、装束を改めたりする居间としても使用されたとみられる。


            6楼2013-02-21 21:12
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              建春门(けんしゅんもん)
              「左 卫门阵(さえもんのじん)」「 外记门(げきもん)」ともいう。
              东西三间の建物で、门外に板敷きの南北二舎がある。北舎の北に后庁がある。
              后庁に并んで南北六间、东西二间の佐宿がある、これは 卫门佐(えもんのすけ)の待机する所である。
              →内裏地図に戻る
              承明门(しょうめいもん)
              五间の建物で戸は三间、「南面内门」ともいう。 桧皮葺で内に二段、外に三段の石阶(いしのきざはし)がある。
              →内裏地図に戻る
              玄辉门(げんきもん)
              「玄晖门」とも书く。
              三间の 桧皮葺で、门の左右北方に东西杖舎(じょうしゃ)南方に
              左右次将、左右
              兵卫佐、 左右将监の宿所ががある。
              →内裏地図に戻る
              宣阳门(せんようもん)
              「左兵卫阵(さひょうえのじん)」ともいう。三间の门で
              桧皮葺で、东西に一段の石阶(いしのきざはし)がある。门内に左
              兵卫督宿所(さひょうえのすけしゅくしょ)、左
              大将直庐(さだいしょうちょくろ)、
              い司町がある。门外に、南舎、北舎、
              内记所がある。
              →内裏地図に戻る
              阴明门(おんめいもん)
              「右兵卫阵(うひょうえのじん)」、「宫西面内门」ともいう。三间の门で、东端に一段の石阶(いしのきざはし)がある。门内北に右
              兵卫督宿所(うひょうえのすけしゅくしょ)、
              蔵人头宿所(くろうどのとうしゅくしょ)、南に
              右大将直庐(うだいしょうちょくろ)があり、门外に南北二舎がある。
              飞香舎(ひぎょうしゃ)
              前庭に藤を植えたので、藤壷(ふじつぼ)ともいわれる。藤の花が见事だったのでここで藤花の宴が何回も行われた。また菊の宴も行われた。(菊、红叶、女郎花等も植えられていた)
              东西五间、南北二间の四方に 庇があり、西の二は
              涂笼になっている、东西北には孙庇がある。南と东には
              箦子をめぐらす。ここが皇后の御所となるのは941年顷。
              凝花舎(ぎょうかしゃ)
              →飞香舎、凝花舎、袭芳舎の図面を见る
              南庭には西に白梅、东に红梅が植えられ、东庭にも梅の木があったことから梅壷(うめつぼ)ともいう(萩や山吹等も植えられていた)。
              东西五间、南北二间の四方に 庇があり、さらに东には孙庇があって、周囲に
              箦子をめぐらす。
              东箦子に3段の木阶があった。
              →内裏地図に戻る
              袭芳舎(しゅうほうしゃ、しほうしゃ)
              →飞香舎、凝花舎、袭芳舎の図面を见る
              庭で相扑が行われていた时、申刻に雷雨があり、酉刻に落雷があった。
              この落雷にあった木があったので雷鸣壷(かんなりつぼ)ともいうが、その木がどんなものかわからない。
              东西五间、南北二间の四方に 庇があり、その周囲に
              箦子をめぐらす。
              登花殿(とうかでん)
              南北七间、东西二间で东西に 庇があった。部屋の构造は明らかでない。


              8楼2013-02-21 21:12
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                大学寮(だいがくりょう)
                「ふんやのつかさ」ともいう。
                二条大路南、神泉苑の西隣にあり、式部省に属し官人养成の为の教育机関で、五位以上の子や、大和・河内両国に在住する史部(ふひとべ)の子、希望により八位の子弟等に教授した。
                学科は経(きょう、経书、儒学)・书(しょ、书道)・算(さん、算术)・音(おん、中国音楽)だったが、中期に纪伝(きでん中国歴史及び汉诗文)・明経(みょうぎょう、経书、儒学)・明法(みょうぼう、法律)・算道(さんどう、算术)の四科になった。
                寮中の庙には、孔子とその弟子の像を安置していた。
                この像を祭る仪式である釈奠や学生(がくしょう)の试験司る者を大学头(かみ)といった。
                ←神泉苑の说明に行く
                ←史の说明に行く
                →釈奠を详しく见る
                →式部省を详しく见る
                大飨(だいきょう)
                宫中や贵族の家で催す大きな宴会。
                大极殿(だいごくでん)
                大内裏の正殿。平安初期には、そこで天皇が政务を执った。
                ←大内裏の说明に行く
                →大极殿を详しく见る
                大床子(だいしょうじ)
                天皇の腰挂ける台のこと。日常用で背もたれもひじ挂けもない长方形のもの。
                清凉殿にある大床子の前に台盘を据え、食器や食物を并べ、午前11时顷と午后5时顷の朝夕二回の正式の食事の设备とした。公卿などの陪膳によって行われる食事を大床子御膳(だいしょうじのおもの)という。
                →床子を详しく见る
                →清凉殿の図を见る
                太政官(だいじょうかん、だじょうかん)
                「おおいまつりごとのつかさ」ともいう。
                中央の八省、地方の全官庁を総辖して、国家を纳める所。
                太政大臣を笔头に左大臣・右大臣・内大臣の「三公」がこれに次ぐ。
                その下に大纳言・中纳言・参议があり、さらに左弁官・右弁官・少纳言の三局があって、事务を分担した。
                →太政官を详しく见る
                太政大臣(だいじょうだいじん、だじょうだいじん)
                太政官の最高の官。「一の人」ともいう。
                正・従一位相当。
                ←太政官の说明を见る
                →太政大臣を详しく见る
                大臣(だいじん)
                「おとど」「おおいどの」「おおいもうちぎみ」ともいう。
                太政官の长官。太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣を指す。
                →太政官を详しく见る
                大膳职(だいぜんしき)
                宫内省に属する役所。
                宫中の食物、また仪式の际に臣下に赐る食物を调える。
                ←宫内省の说明に行く
                大内裏(だいだいり)
                平安京の内裏とその周りの诸官庁のある区域。
                →大内裏図を见る
                台盘(だいばん)
                盘台(ばんだい)
                四脚で机のような形の食卓。食物を盛った盘(皿)を乗せることから名付けられた。大势の会食の时には何面もつなげて使用したらしい。
                涂ってある漆の色で朱漆台盘、黒台盘と呼ばれたり、大きさで长台盘、切台盘、小台盘と呼ばれた。
                台盘所(だいばんどころ)
                台盘(↑参照)を调え、それをしまっておく所。
                宫中では清凉殿内の西侧にあり、天皇付きの女房の诘所となった。
                ←清凉殿の说明に行く
                内裏(だいり)
                皇居のこと
                →内裏を详しく见る
                打毬(だきゅう)
                网を付けた杖で毬をすくい、毬门(ゴール)に打ち込む游び


                9楼2013-02-21 21:14
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                  马上で马を疾走させて行う骑马打毬と、徒歩による徒(かち)打毬がある。
                  唾壷(だこ)
                  唾を吐き入れるための器のこと。主に银制で、壷の下部の形をした容器に杯形の唾壷羽(だこう)を载せたもの。内侧に锦を张った浅い箱にの中に置いた。
                  坛(だん)
                  土が高く盛り上がっている所。
                  坛纸(だんし)
                  纸面に、ひし形のシワがある和纸のこと。
                  弾正台(だんじょうだい)
                  ただすつかさ ともいう。
                  役人の罪悪を正し、风俗の取り缔まりを司る役所。
                  后にその职务は検非违使に移ていった。
                  长官である尹(いん)は、平安时代では名誉职化し、亲王を任命することが惯例化し、この亲王を弾正宫と呼んだ。
                  段だら(だんだら)
                  横缟状にいくつかの色が段々になっている文様。

                  絽(ろ)
                  织目を透かした绢布。
                  廊(ろう)
                  渡殿(わたどの)
                  殿舎と殿舎との间を连结する廊下のこと。「细殿(ほそどの)」「渡廊(わたりろう)」「渡殿(わたどの)」ともいった。
                  両侧が壁で、上に格子を吊ったものを壁渡殿(かべわたどの)、両侧を板または壁等で塞がず、柱间に高栏があり、帘を悬け渡し、中の透けて见えるものを透廊(すきろう)、透渡殿(すきわたどの)、反桥になっているものを反渡殿(そりわたどの)、廊と廊との土间へ渡す板の桥を打桥(うちはし)、钓殿または泉殿に通じる廊で、中间に中门が开いているものを中门廊(ちゅうもんろう)といった。
                  楼(ろう)
                  ・高殿(たかどの)
                  高く造った建物。
                  朗咏(ろうえい)
                  汉诗・汉文の二句一连のものや和歌に节を付けてうたうこと。
                  仪式や管弦の游びの际に行われる。
                  六位蔵人(ろくいのくらんど)
                  蔵人所に属し、宫中の细事、天皇の御膳の给仕等を司る。定员5人(6~7人のこともあった)。
                  毎日1日ずつ交代で出仕したので、日下臈(ひのげろう)とも呼ばれた。
                  年の老若に関系なく、勤続年数によって顺序を定めた。
                  六位の地位であっても、升殿を许された上に、禁色(きんじき)の着用を许された。

                  筝(そう・しょう)
                  「筝琴(ーのこと)」ともいう。
                  十三弦で古くは桐の箱作りでほぼ长方形になる。琴柱(ことじ)を立て、右手にはめた爪で头部近くの弦をはじいて演奏するので「爪音(つまおと)」とされるが、必ず爪をはめたかどうかは确かではない。
                  挿鞋(そうかい)
                  天皇が殿上においてはく履物で、浅紫の绫を贴った靴。
                  葱花辇(そうかれん)
                  屋根の顶上に金色の葱の花の形をした饰りのついた人がかつぐ乗り物。
                  背に障子や屏风があり、三方に御帐を垂れる。
                  縦五本・横二本の黒漆涂の辕が付けられている。
                  僧纲(そうごう)
                  僧官(僧正・僧都・律师)・僧位(法印・法眼・法桥)の総称。
                  もと、僧尼を监督し、法务を総括する僧の官职。
                  曹司(そうし)
                  宫中に置かれた、役人や女房等の居室。
                  僧正(そうじょう)
                  僧侣の官职の一つで、朝廷から任命される最上位のもの、最初は1名だったが、后には大僧正・正僧正・権僧正の三阶级になった。
                  僧都(そうず)
                  僧侣の官职の一つで、「僧正」に次ぐ地位で、最初は1名だったが、后には大僧都・権大僧都・僧都・少僧都・権少僧都の五阶级になった。
                  即位式(そくいしき)
                  全ての人民に皇位継承をしたことを宣言する儀式。
                  束帯(そくたい)
                  朝廷の公事の际、宫中に参上する时に着用する正式な礼服。
                  主に文官が缝腋の袍、武官が阙腋の袍を着用した。
                  反桥(そりはし)
                  渡殿や廊の中央部になる反った桥。
                  遣水の上に渡され、高栏が架かる。


                  10楼2013-02-21 21:14
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