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【生肉】235-更新

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IP属地:广东来自Android客户端1楼2021-07-05 14:38回复
    235生肉
    転生王女の夢語。
     気が付くと、薄暗い場所に立っていた。
     あれ……?
     私、どうしたんだっけ。
     記憶が曖昧で、思い出せない。
     ふわふわと意識も足元も覚束ない状態で、周囲を見回す。四方に広がっているのは、ぼんやりした闇。果てなく続いているような空間の真ん中で私は、ここはどこだろうと途方に暮れた。
     ただ、不思議と恐怖心はない。
     ここで立ち尽くしているよりはマシだろうと、私は歩き始めた。
     ぺたぺたと裸足で進む。といっても目標物も目的地もないので、本当に前に進んでいるのか確かめる術もない。
     どれだけ歩いても、景色は一向に変わらない。
     ぐるぐると同じ場所を回っているだけの可能性もあるのでは……? と少しばかり不安になった頃、ふと何か小さな音が聞こえた。
    「……?」
     耳を澄まして、音のする方へと向かう。
     距離も正確な方角も分からないけれど、たぶん近づいている。
     虫の音、葉擦れの音さえしない静寂の中でも聞き漏らしてしまいそうな小さな音が、少しだけ拾いやすくなった気がしたから。
     音は形容しがたいものだった。
     粘性のある液体を零したような、泥濘に足を取られたような。多くの人間は不快に感じるであろうソレを、忌避するのではなく探している自分が不思議ではあった。
     どれくらい歩いただろうか。
     視界の端に、何かを見つけた。
     『何か』と表現したソレは、近づいてみても正体が分からなかった。黒っぽい塊は、道の隅に放り出された片方だけの靴に見える。
     けれど微妙に動いているので、靴の線は消えた。
    「……? ……っ!?」
     距離を詰めて目を凝らした私は、ようやくソレの姿をちゃんと捉える。それと同時に、息を詰めた。
     驚きすぎて、悲鳴も出ない。
     ソレはまるで泥の塊だった。
     セット売りされている絵具を全色混ぜ合わせたかのような、黒でありながらも純粋な黒ではない色をしている。
     輪郭は曖昧で、ぐねぐねと波打つように揺れていた。そして波打つ度に、塊が崩れて欠片がべちゃりと落ちる。
     手足はもちろん、口や鼻、耳のような器官は見つけられない。
     それなのに生き物だと判断したのは、動いていたからだけではない。二つ開いた洞うろの奥底に、目のように光る何かがあったからだ。
     ぞぞぞ、と背筋に冷たいものが走る。
     な、なななななにこれ! なにこれ!?
     訳の分からない生物と対峙しながら、私は固まる。混乱しきった頭の中で叫んでみても、誰も答えてくれるはずはなく。
     凝視したまま、じりじりと後退する事しか出来なかった。
     回れ右して走って逃げなかったのは、前世のテレビ番組の中で見た、クマと遭遇した時の対処法が何故か思い浮かんだからだ。クマじゃないけど。似ても似つかないけど。
    「……?」
     しかし、いつまで経ってもソレは、私に襲い掛かってくる様子はなかった。蠢くだけで、その場から動こうともしない。
     何のリアクションもなく、私を認識しているのかも怪しい。
     もしかして、害はない……?
     恐る恐る一歩近づき、観察してみる。
     プルプルと揺れる輪郭を見ていると、何かを思い出しそうだ。
     どこかで見た何かに近いような、そうでもないような。
    「……あ!」
     唸って考え込んでいた私は、ふと頭に閃いた映像にポンと手を打つ。
     はぐれメ〇ルだ! もしくはバブル〇ライム!
     それの実写版みたいな。
     自分で思いついておいて、とても微妙な気持ちになった。
     あの可愛らしいキャラクターを実写化したら、こんなクリーチャーになるとか嫌すぎる。
     某有名ゲーム会社に心の中で土下座しながらも、私はもう少しその生き物に近付いてみた。
    「……ねぇ」
     思い切って声をかけてみるが、反応はない。プルプルと揺れるだけ。恐る恐る手を翳してみても、『はぐれん』とか『ばぶるん』とか微妙な名前を呼び掛けてみても無駄。
     途方に暮れた私は、その生き物が見ているらしき方向へと視線を向けた。
     すると薄暗い空間に、長方形型に切り取られた映像が浮かぶ。
     古びた映写機の映像みたいだ。色褪せているし、ところどころノイズが走っているみたいに不鮮明で、全体的にぼやけている。
     私の隣にいる生き物は、その古い映画に似た映像を見ているようだった。
     こぽり、と時折揺れて崩れながらも、目は映像を追っている……ように見える。
     暫し逡巡してから、私はその生き物の隣に腰を下ろす。そしてその映像を、一緒に見る事にした。
     ジジッと掠れた音を立てながら、風景が流れる。
     映像は青々と茂る草を掻き分けて、森へと入っていくシーンから始まった。


    IP属地:广东来自Android客户端2楼2021-07-05 14:44
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       一般的な映画のように第三者視点ではなく、誰かの目を借りる形の一人称視点で映像は進んでいく。
      『    』
       聞き覚えのない不思議な言語だった。けれど何故か、意味はぼんやりと理解出来る。
      『兄さん』と呼びかけられた視点の人物は振り返る。背後には声の主らしき少年の姿があった。木製の籠を抱えた少年の年頃は、たぶん十歳前後。少し不安げな顔をしている。鬱蒼とした森は昼でも薄暗いから、入るのが怖いのかもしれない。
       視点の主は『仕方ない』といった意味合いの言葉を呟いた後、少年に向けて手を差し伸べる。少年はその手を握ると、安心したように表情を緩めた。
       目線の位置からして背格好は同じくらいだと思うが、もしかしたら年子の兄弟なのかも、と思った。
       子供達は、母親の薬草を摘みに森へと来たらしい。
       村はずれにある森は、本来は子供の立ち入りを禁止している。数年に一度、子供がいなくなるので神隠しの森と呼ばれて畏れられているからだ。
       神様は怒ってないかなと心配する弟を、兄は神様なんていないと否定する。どうせ獣の仕業だと言い聞かせる兄の口調は大人びていた。
       獣が出てくる前に、必要な薬草だけ摘んで早く帰ろうと兄が促して、薬草探しが始まった。しかし、森の入り口付近では薬草が見つからず、二人はどんどん奥へと入っていく。
       必死になって探している間に時は過ぎ、いつの間にか日が傾いていた。
       薄暗い森の中にオレンジ色の日が差し込み、影が長く伸びる。誰そ彼、逢魔が時と呼ばれる時間に差し掛かった。
       流石にこれ以上は危ないと判断した兄は、帰宅を促す為に弟に声を掛ける。
       二人で母の待つ家へと帰ろうとしたその時、異変は起きた。
       突如、弟の足元が光り出す。
       湿った土の上、木の根の合間を縫うように光で模様が描かれる。複雑な図形と文字で構成されたソレは、私の目には魔法陣に見えた。
       戸惑って動けずにいる弟に、兄は叫びながら手を伸ばす。
       しかし円から外へ引っ張り出す前に、光の勢いは増して弟を包み込む。
       どうにか弟の手を取ったところで光の奔流に飲み込まれ、そこで兄の意識は途絶えた。
       暫しの空白と無音。
       次に兄が目を開けた時、彼等がいる場所は森ではなかった。
       石造りの白い壁と柱。天井はアーチを描き、鋳物で装飾された灯りが等間隔に垂れさがっている。窓は木製の飾り格子が嵌っていて、美しい形の影を落としていた。
       西洋風の建物は、今まで彼等がいた場所とは似ても似つかない。
       混乱した二人の少年がへたり込んでいる白い床の上には、さっき見た魔法陣がくっきりと描かれていた。
      『     』
       硬質な靴音と共に、大人の男の声が響く。
       神経質そうな顔立ちをした壮年の男は、貫頭衣と一枚布を組み合わせた服装をしている。
       古代ローマを題材とした映画に出てきそうな……なんていう名前だったかな。トゥ……、えっとチュニックだっけ?
       建物は私が今生きている世界のものに似ているけれど、服装は違う。国が違うのか、それとも時代が違うのか。
       ただ今は、それは横に置いておこう。どうでも良くはないけれど、それよりも。
       意思を無視して、召喚されてしまったらしい二人の少年。
       彼等の行く末以上に、重要な事はないだろう。


      IP属地:广东来自Android客户端3楼2021-07-05 14:48
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        236
        ※胸糞展開注意。苦手な方は回避推奨です。
        転生王女の夢語。(2)
         男の言葉は、少年達のものとは違う響きがあった。
         それでも理解出来ているのは、夢だから? それとも、転生チートみたいに不思議な力が働いているんだろうか。
         男は余計なものがついてきた、と言った。
         そして少し考える素振りを見せてから、『使い道はいくらでもあるか』と独り言を零す。
         男の目的は弟の方だったらしい。
         怯える弟を不躾な目で眺めてから、素晴らしい魔力量だと満足気に笑う。しかし兄の方を見ると、眉間に皺を寄せる。男が言うには、兄の方には魔力は殆どないらしい。それと、異世界の人間なのだから、何かしらの特殊能力はあるのだろうとも言った。
         花音ちゃんに特殊能力が備わっていたように、この二人の少年にも何かしらの力があるようだ。
         ただ、それが良い事だとは、私にはとても思えなかった。
         男が二人を見る目は、人を見るソレではない。嫌な予感しかしなかった。
         そしてその予感は、残念ながら当たってしまう。
         少年らが召喚された国は、戦争の最中だった。
         戦力として召喚された二人は、否応なしに巻き込まれる。
         互いを人質にとられ、帰る場所も術もない彼等は、言われるがまま戦いに身を投じた。
         弟の方は、強力な魔法が撃てるだけでなく、動物の能力を向上させる不思議な力を持っていた。
         彼が力を注いだ軍馬は、脚力や持久力が向上する。
         兄の方の能力は、ずっと分からないままだった。
         弟のように前線へ送られるのではなく、屋敷に留め置かれていたけれど、その日々は安寧とは程遠い。能力を探る目的で、限界まで魔力を使わされたり、体にわざと傷をつけられたりと、実験動物のように扱われ続けた。
         目を背けたくなる場面の連続で、私の心までも疲弊していきそうだ。
         それでも兄は逃げ出さなかった。弟と一緒に母の元へと戻る日を夢見て、懸命に生き続けた。
         けれど世界は……ううん、人間は、どこまでも彼に非情だった。
         ある日、兄はいつもの実験室とは別の部屋へと連れていかれた。
         石造りの薄暗い部屋は広く、頑丈そうな造りだ。また魔力が枯れるまで撃たされるのかと思った兄の前に、誰かが立った。
         それは、見知らぬ少年だった。
         痩せ衰えた体は傷だらけで、酷い顔色だ。怯えたように震えている少年だったが、落ちくぼんだ目だけはギラギラと光っている。
         その少年は、兄の傍に立っていた壮年の男に向かって話しかけた。
         『こいつを殺せば、本当に元の世界へ帰してくれるんだな?』と真剣な顔で問う少年に、壮年の男は笑みを浮かべて鷹揚に頷く。
         生き残りたければ、力を示せ、と。
         命の危機に瀕したら、能力が目覚めるかもしれない。
         そんな薄汚い思惑が透けて見える、嫌な笑い方だった。
         襲い掛かってくる少年に、兄は訳も分からないまま逃げ回る。誰かを傷付けるなんて嫌だったんだろう。けれど相手はお構いなしに剣で、魔法で、攻撃をしかけてくる。兄の体はどんどん傷だらけになっていく。
         死を覚悟した兄の反撃は、不運にも相手の致命傷となった。
         床に崩れ落ちるように膝をついた兄は満身創痍だったけれど、その眼前に倒れ伏す少年の傷は更に深い。光が消えて濁った瞳を見て兄は、相手が既に事切れていると知った。
         そして暫しの空白。
         兄が意識を失ったのだと思う。
         目覚めた兄は、相変わらず床に転がったままだった。
         けれど何故か、今までと視界が少し違う。すぐ傍には少年の骸が放置されたまま。
         兄は訝しむように、首を傾げる。
         放置された少年の体をよく見ると、さっきまでとは恰好が違う。服も体格も髪の色も違う、別人の体が転がっていた。
         そしてその姿に見覚えがあると気付き、私は小さく悲鳴をあげる。
         召喚されてからずっと見ていない片割れ、弟の容姿にそっくりだ。
        『     』
         けれど兄の動揺は、私の心配とは別のものだった。彼は戸惑いながら、なんでオレがいるの、と呟く。
         オレの体は、あれ、なんで。この体はオレのじゃない。あっちがオレのなのに。
         震える声で紡がれた言葉の断片を整理して、私はようやく二つの事に気付く。
         あの体は弟のものではなく、兄のもの。つまり年子の兄弟ではなく、双子だったという事。そしてもう一つは、兄の意識が別の体へと入ってしまっているという事だ。
         しかも尋常ではない量の魔力が体に満ちているのを感じて、兄は動揺した。
         自分に起こっている異常事態に恐慌する兄とは対照的に、壮年の男は歓喜する。乗っ取った器の魔力量を増幅させる能力……兄の持つ特殊な力は、戦争に勝つ為の切り札となり得る、強大で稀有な力だったから。
         興奮した男は高ぶる感情のままに意味不明な言葉を喚き散らした後、何かを思いついたように部屋を出ていく。


        IP属地:广东来自Android客户端4楼2021-07-05 15:02
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           取り残された兄は立ち上がる事も出来ず、茫然自失のまま座り込んでいた。
           全てが悪い夢のようだ。
           そして悪夢から目覚める事なく、更なる悪夢が襲い掛かる。
           慌ただしく足音が近づいてきたかと思うと、乱暴に部屋の扉が開いた。
           飛び込んできたのは、ずっと会えなかった弟だった。その後ろから、壮年の男がやってくる。
           弟はすぐに、床に倒れている兄に気付いて駆け寄る。
           揺さ振っても反応のない抜け殻を見て、弟の顔が絶望に染まった。兄さん、兄さんと何度も繰り返しながら、滂沱の涙を流す。
           戸惑いながら兄が弟の名を呼ぶと、大きく体が揺れた。
           そして向けられた弟の目は、激しい憎悪に爛々と輝いていた。
           壮年の男は一瞬、とても楽しそうに笑う。しかしすぐに表情を取り繕い、こちらを指さして言った。君の兄さんを殺したのは、あいつだ、と。
           人間はそんなにも邪悪になれるのかと、私は絶句した。
          『     』
           殺してやる、と弟は叫んだ。
           今更何を言っても、弟には届かなかった。兄の骸の前で血塗れになっている男が、殺していないとか、自分が兄だなんて言っても、誰が信じるというのか。
           殺そうと襲い掛かってくる弟から、兄は必死に逃げた。殺すのも殺されるのも、どちらも絶望にしか繋がらない。
           けれど弟の魔法は強力で、兄は次第に追い詰められる。致命傷すれすれの大怪我を負い、もはや逃げる事も叶わない。
           どうにか話がしたいと、兄は弟に手加減した魔法を撃った。最小限の力で、あくまで隙をつくる為だけに。
           けれど増幅した魔力は、容易く弟の命を刈り取った。
           まるで人形を壊すように、呆気なく。弟の体は崩れ落ちる。
           倒れ伏す、二人の体。
           そしてまた、兄の意識は途絶えて空白が流れ。
           壮年の男の哄笑が響き渡る中、兄は目を開ける。
           またしても、視界が変わっている。元の自分に戻ったような視界。けれど違う。端に転がる自分の死体と、さっきまで入っていた見知らぬ少年の死体が、おぞましい事実を物語っていた。
           弟の体で目覚めた兄は、絶叫した。
           激しい怒りが命じるままに、目につく全てを彼は蹂躙した。
           まずは、『よい化け物を手に入れた』とご満悦だった壮年の男を、切り刻み、焼いて、塵も残さぬ程に破壊し尽くした。
           次いで屋敷内の人間を、その後は領内の人間を、国内の人間を。端から全てを平らげていっても尚、彼の怒りは微塵も鎮まらなかった。
           兄の怒りに呼応するように一部の動物達は変化し、魔物となって彼の敵を屠る。
           蹂躙はいつまで経っても終わる事はなかった。脅威となった兄を倒そうと向かってくる人間達を殺し、それがまた憎しみを生み、争いの連鎖は途切れない。
           ぼろぼろになった体が終わりを迎えても、また別の体で目覚め、戦いは続く。
           封印されても同じ。また目覚め、殺し合う。永劫に地獄を彷徨っているような、救いのない光景だった。
          「…………」
           声も出ない。
           可哀想とか、酷いなんて言葉で表せるような出来事ではなかった。どんな言葉も彼の絶望の前では陳腐になる。
           生まれた世界と母を奪われ、尊厳を奪われ、唯一の心の支えだった弟を奪われて。
           全てを奪い尽くされた少年の嘆きが『魔王』という形になったのなら、私ごときに言える言葉なんてない。
           無辜の民の死を当然なんて言えないけれど、加害者と被害者を明確に線引き出来る程、単純な構図ではなく。
           この世界の人間にとって魔王が『悪』ならば、魔王にとってはこの世界そのものが『悪』だった。
          『     』
           真っ白な空白の中で、呟きが落ちる。
           静かな声は、母と弟を呼んで、帰りたいと繰り返した。
           そうか。魔王が欲しかったのは、魔導師の体じゃない。魔法陣だ。
           きっと彼は、故郷へ帰りたかったんだ。
           あの魔法陣は、彼の故郷へと繋がらないだろう。それに奇跡的に戻れたとしても、彼を知る人は誰も生きてはいない。
           それでも、帰りたかった。この世界を憎むのと同じくらい、彼は故郷を渇望していた。
          『……ン』
           ぽつりと、小さな呟きが落ちる。
           画面の向こうの声ではなかった。ノイズ混じりの不協和音は、魔王のソレで。
           視線を向けると、はぐ〇メタルもどき……もとい、魔王らしき塊が小さく揺れていた。
           掠れた音がして、暫くの間、真っ白だった映像が切り替わる。
           さっきまでの擦り切れてぼやけた過去の断片ではなく、もっと鮮明な映像。大きな部屋と、高い天井。ラタンの枠にクッションを重ねた寝床には、見覚えがある気がした。
           浅い眠りのような空白の後、薄く開いた視界に白い手が割り込んだ。
           細い指に白い肌、少女のものだろうか。
           それにしては大きく見えるけれど、部屋の大きさや寝床との対比を見ると、手が大きいのではなく、自分の体が小さいのかもしれない。


          IP属地:广东来自Android客户端5楼2021-07-05 15:04
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             柔らかそうな手が、頭をそっと撫でる。
             顔を上げたのか、視界に手の主の姿が映った。
            「……え」
             呆けた声が洩れた。
             画面いっぱいに映るのは、少女の姿。
             ゆるく波打つプラチナブロンドに、白い肌。薄紅色の唇は淡く微笑み、青い瞳は愛しいと語り掛けるような慈愛に満ちていた。
             見覚えのある……否、ありすぎる容姿。鏡さえあれば今すぐにでも会える。
            「わたし……?」
             画面いっぱいに映し出されているのは、私の顔だった。
             こんなにもだらしない顔をした覚えはないけれど。でも、残念ながら心当たりはある。祖父母が初孫に向けるような眼差しは、たぶんネロを愛でている時の私だろう。
            『……サン』
            「え?」
             不協和音が、何事かを呟く。
             画面を注視したまま、掠れた声で繰り返されるそれに、耳を澄ます。
            『……カア、サン』
             魔王は画面の中の私に向かって呼びかけた。母さん、と。
             頭の中が真っ白になる。
            『カア、サ』
             泥の塊に似た体が伸びる。画面に向かって伸ばしたのは手だろうか。ボトボトと崩れながら、必死に。迷子の子供が、母を探すように。
            「……っ」
             頭で考えるよりも先に、衝動的に動いていた。
             溜まったヘドロみたいな体を持ち上げて、両腕で抱き締める。ぐにゃんと変形して、溶けて、量を減らしながらも腕の中に納まった体に、そっと頬を寄せた。
             これは憐れみなんだろうか。それとも罪悪感?
             分からないけれど、たまらない気持ちになった。
             だって、いったい、どんな気持ちで呼んだのか。
             ほんの短い間しか一緒にいなかった、しかも彼の母親とは人種も年齢も違うだろう私に、母を重ねるほど愛に飢えていたひとを、どうして突き放せるだろう。
            『カアサン、カアサン、イタイ、クルシイ……カアサン』
             私に手を伸ばしながら、幼子みたいに繰り返す。ずっと、ずっと、長い事押し込めてきた弱音を零しながら。
             どろどろの頭を、ゆっくり撫でる。
            「うん、うん。よく我慢したね」
             ぽっかり空いた洞の目に向かって、微笑みかける。
            「いたいの、いたいの、とんでけ」
             目と目の間の少し上、額らしき場所に口づけを落とす。
             すると魔王の目から、濁った液体が流れだす。
            『カア、サン、カアサン、ォ、アアアアア、オオオオ……‼』
             泣いているのだろうか。咆哮みたいな声をあげながら、体を波立たせた。
            「もう苦しいのも辛いのも、おしまいにしよう?」
             赤子をあやすように揺らしながら、下手くそな子守歌を口ずさむ。
             記憶が曖昧で歌詞は出鱈目だし、音程も外れていて酷いものだ。それでも腕の中の存在の嘆きは、少しずつ治まってくる。
             叫ぶのを止めた魔王は、微睡むように目を細めた。
             けれど、黒い泥みたいなものが崩れていく速度は緩まない。このままだと無くなってしまうんじゃないかと不安になる。
             腕いっぱいにあった粘液は、既に両手に乗るサイズまで減ってしまっていた。
             せめてその分だけでも零れないようにと掬い上げるように持つけれど、隙間から落ちてしまう。
             やばい、溶けて消える。下に落ちた分を、搔き集めて固めたら戻るかな。
             そんな馬鹿みたいな事を本気で考えていると、洞みたいな目が、ぬるんと泥の塊から飛び出した。
             えっ……め、目が! 目がぁあああ‼
             グロ注意案件に驚愕する私を放置し、飛び出した二つの塊は、ふわふわと空中を漂う。
             淡く発光しながら、私の周りをゆるく飛び回る姿はまるで蛍。
            『母さん』
            『母さん』
             さっきまでのノイズ混じりの不協和音ではなく、少年の声が二つ。
             両目ではなく、独立した二つの何かだったのか。
             くるくる仲良く回る二つの光を見ていると、過る映像がある。
            「貴方たち、もしかして……」
             言いかけて、止めた。
             その代わりにおいでと手を伸ばす。両手に行儀よく乗った光に、そっと頬擦りした。
            「もし生まれ変われる場所を選べるのなら、私のところにおいで」
             もういい、お腹いっぱいだって言うほど、愛すから。
             そう言うと二つの光は嬉しそうに明滅してから、空気に溶けて消えた。


            IP属地:广东来自Android客户端6楼2021-07-05 15:05
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              転生王女の覚醒。
               瞼越しに感じた光に、揺蕩っていた意識が浮上する。
               ぱかりと目を開けると、ぼやけた景色が映る。定まらなかった焦点は、瞬きを数度繰り返すうちに落ち着いた。
               私の現在地は、自室のベッドの上。室内は明るく、今が昼間である事が察せられた。
               凄く長い夢を見ていた気がする。
              「……っ」
               体を起こそうとして、痛みに呻いた。
               なんだこれ。体中が滅茶苦茶痛いんですけど。
               足が痛いとか手が痛いとか、場所を特定するのも難しいレベルで、満遍なく痛い。えっ、本当なにこれ。痛い。
               前世で初めてスノボにチャレンジした翌日の痛みを、何倍にもした感じ。
               ……ということはこれ、もしや筋肉痛?
              「いたた……」
              「っ!」
               涙目になりながら呻いていると、誰かが息を呑む音がする。見ると、ベッド脇にいた女性が、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がるところだった。
              「ローゼッ! 目が覚めたのね!?」
               母様は、覆いかぶさるように私を覗き込む。
               突然の事に反応できなかった私は、目を丸くして固まった。
              「良かった……。あ、侍医を呼ばなくてはね! それと薬と、桶の水も替えてもらわなきゃ」
               強張っていた顔を緩めた後、母様は身を起こす。侍女を呼んで慌ただしく色々と手配をしていた。
               戻ってきた母様は、用意してあったグラスに水を注いでから、私に向き直る。
              「喉が渇いているでしょう。手伝うから、体を起こせる?」
               頷いた私は、母様の手を借りて半身を起こす。背中にクッションを挟んで凭れかかるだけの簡単な動作さえ酷く疲れる。
               グラスを受け取ろうとしたけれど、危なっかしいと判断されたようで、母様に介助されながら水を飲んだ。
               喉、食道と水が伝い落ちていくのが分かる。何度かに分けて水分補給をして、はふ、と息を零す。
               もう少し飲むかと問う母様に、頭を振った。
              「なにか食べたいものはある?」
               次の問いにも、少し考えてから首を横に振ると母様は眉を下げた。
              「無理にでも、少しは食べてちょうだい。貴方、丸三日なにも食べていないんだから」
              「三日!?」
               三日も私、眠っていたの?
               驚きに目を丸くすると、母様は苦い顔で頷く。
              「どれだけ心配したと思っているの。もうこれ以上、寿命を縮められるのは御免だわ」
               溜息を吐く母様の顔は、よく見ると青白い。
               目の下にもうっすらと隈があるので、たぶんろくに眠れていないんだろう。
              「……ごめんなさい」
               小さな声で謝罪すると、母様の表情が緩む。
              「果物を用意させるから、侍医の診察が終わったら食べなさい。薬はその後ね」
               そんな会話をしていると、扉が鳴った。
              「丁度、来たようね」
               母様が入室を促す返事をすると、扉が開く。
               すると現れたのは、侍医でも侍女でもなかった。癖のないプラチナブロンドと薄い青の瞳、端整な顔がそっくりな二人の男性。
              「邪魔をするぞ」
               相変わらずの無表情で言った父様の隣で、兄様は穴が空くほどに私を凝視している。
               渋面を作った母様はつかつかと足音を立てながら戸口へと近づいた。
              「邪魔だと理解されているのなら、出直してくださいませ」
               居丈高に言い放って、躊躇なく二人を締め出す。
               ふん、と鼻を鳴らしてから母様は、くるりと私を振り返った。反射的にビクリと肩を揺らす私に、にっこりと綺麗な笑顔を向ける。
              「侍医でも薬でもなかったわ」
               う、うん。見えてたよ。貴方の旦那様と義理の息子さんだったよね。
               心の中で答えつつも、母様の迫力に気圧されて言葉には出来なかった。
              「いくら身内とはいえ、支度の出来ていない淑女の寝室に入るなんて。あの方は配慮や気遣いというものが出来ないのね」
              「はぁ」
               それはそう。
               父様の辞書がいくら更新されても、その二つの単語は永久に追加されないだろう。
               母様がぶつぶつと愚痴を零していると、再度、扉が鳴った。
               母様は眉間に皺を刻みつつ、扉を眺める。返事をするのではなく、近づいてノブに手を掛ける。
               ゆっくりと開けると、しゅんと萎れた兄様が立っている。彼の手には、薬らしき包みと、切り分けたフルーツが載ったお盆があった。
               たぶん、侍女に無理を言って運搬役を買って出たんだと思う。
              「…………」
              「…………」
               母様と兄様は互いに無言のまま、十数秒が経過した。
               母様は大きな溜息を吐き出すと、立ちふさがっていた場所から脇に避ける。兄様はぱっと顔を上げた。
              「入っても良いのですか?」


              IP属地:广东来自Android客户端7楼2021-07-06 22:03
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                「……頼んでいた薬が届いたのですから、仕方ありませんわ」
                 不機嫌そうな顔ながらも、そう言って兄様を招き入れる。
                 そうして今度こそ扉を閉めようとしたら、別の影が戸口に立つ。
                 侍医であるテレマン先生……と、彼の背後に立つ父様だった。
                「……陛下」
                「侍医を届けたのだから、私も入る権利があるな」
                 真顔で言うセリフではない。
                 睨み付ける母様の横を、ふてぶてしい顔で父様は通り抜ける。間に挟まれたテレマン先生が気の毒だが、彼は微苦笑しているだけだった。流石、年の功。こんな父様と母様を見ても動揺しないのは凄いと思う。
                「ローゼ」
                 傍へと駆け寄って来た兄様は持っていたお盆を、らしくもなく乱雑にテーブルに置く。身を乗り出すように、私を覗き込んだ。
                「気分は? どこか痛いところはないか?」
                 そう問いかける兄様の方が、ずっと痛そうな顔をしている。目の下の隈は濃く、顔色は母様以上に悪い。私よりもよっぽど病人のようだ。
                 全身が筋肉痛だけれど、それ以外の不調はない。「大丈夫」と答えるが、兄様の表情は晴れなかった。
                「心配をおかけしました」
                「いや。お前が無事でいてくれただけで私は……」
                 兄様は笑顔を浮かべようとして、失敗したみたいな顔で言葉を詰まらせる。俯いた彼は、私の手を取る。私の手を両側から握りこんだ大きな手は、小さく震えていた。
                 どれだけ、心配をかけてしまったんだろう。
                 何度も倒れて、何度も寝込んで。
                 私が危険に晒される度に、兄様はどんな思いでいたのか。
                 兄様は立場上、感情のままに動く事は許されない。表面上は冷徹な王太子の仮面を被っていても、優しく心配性な兄様が、何も思わない筈はなかったのに。
                「兄様……ごめんなさい」
                 手を伸ばして目元の隈を指の腹で撫でると、兄様の顔がくしゃりと歪んだ。
                 額を兄様の肩口に押し付ける形で、抱き締められる。
                 私が生きている事を確かめるように腕の中に閉じ込めたまま、何も言わなくなってしまった兄様の背を、黙って擦り続けた。


                IP属地:广东来自Android客户端8楼2021-07-06 22:04
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                  238
                  転生王女の覚醒。(2)
                  「……みっともないところを、見せてしまったな」
                   暫くしてから顔をあげた兄様は、ばつが悪そうに視線を逸らして呟いた。目が少し充血しているのは見ないふりで、頭を振るだけに留める。
                   それから、待っていてくれたテレマン先生の診察を受けた。
                   席を外す気配のない男性陣を、母様が一時的に追い出してくれた。
                   ありがとう、母様。
                   家族とはいえ、流石に男性に同席されるのは嫌だ。
                   終わるとすぐに二人とも戻ってきて、母様の隣で診察結果を聞いていた。
                   別におかしな光景ではないのかもしれないけれど……なんだろう。すごくシュールに見えるのは何故だ。
                   テレマン先生曰く、特に異常はないようなので、安静にしていたら回復するだろうとの事。
                   リハビリがてら、散歩などの軽い運動はしても大丈夫か聞いてみたら、まずは休息だと言われた。滋養のある食事と十分な睡眠をとって、運動はそれからだと。
                   一週間、ベッドから出ては駄目らしい……。しょぼん。
                   お大事にとの言葉を残し、テレマン先生は退室した。
                   しかし家族は誰も出て行こうとはしない。
                   薬を飲む為の水を用意したり、フルーツを取り分けたりしてくれている母様はともかく。椅子を勝手にベッドの傍へと移動して、ふんぞり返っている父様は何がしたいの。
                   ちなみに、何かしたいのに、何をしていいか分からずに右往左往している兄様は微笑ましいのでよしとする。完全無欠の王子様な兄様も、看病については詳しくないらしい。
                   母様に手渡された果物にフォークを刺し、一口齧る。
                   少量口に入れた果実は、ナシとリンゴの中間みたいな食感だ。少し酸味が強いけれど、咀嚼する度に瑞々しい味わいが口内に広がって美味しい。
                   私が飲み込んだのを見計らったようなタイミングで、父様は口を開く。
                  「お前が倒れていた間に城内をくまなく調査をしたが、異変は見つからなかった。動物も人間も、影響を受けた様子はない」
                  「そうですか」
                   良かった、と小さく呟く。
                   思い出すのは、ぼんやりとした夢の中の記憶。霞がかった景色のように、ところどころ曖昧になっているけれど、残っている部分はある。
                   泣いていたあの子達はきっと、もう誰も傷付けたくないはず。
                  「報告を受けた通り、魔王は消滅したと判断した」
                   父様は、そこで言葉を一度切る。
                   酷薄な印象を与える薄青の瞳が、ひたと私を見据えた。
                  「大儀であった」
                  「……!?」
                   一瞬、ぽかんと呆気にとられてしまった。あまりにも予想外だった為に、すぐに反応出来ない。驚きに固まった私と同じく、母様と兄様も動きを止めている。
                   おかしな息の止め方をしてしまったようで、一拍置いて変な咳が出た。
                   ケホケホと咳き込む音に我に返った母様は、慌てて私の背を擦ってくれる。兄様も母様とは反対側の枕元へと立ち、不安定になっていたお皿とフォークを受け取って、横に避けるなどのフォローをしてくれている。
                  「変な事を仰って、驚かせるのはお止めください! この子はまだ病み上がりなのですから!」
                   私の背を擦りながら、母様は父様を睨み付けた。
                  「変な事とはなんだ。誉めただけだろう」
                   父様の表情にさほどの変化はないが、少しムッとしているように見える。
                   ふてぶてしいのは相変わらずだが、少し顰められた眉が心外だと訴えていた。
                  「普段のご自分の言動を思い出してみては如何? 貴方が普通に誉める事自体が変な事なのです」
                   憤慨する母様に同調するように、兄様も頷いている。
                  「何かの罠かと勘繰りたくなりますよ」
                  「それに誉めるならもっと、相応しい表情と言葉があるでしょう。そんな態度で言われても、素直に受け取れるはずありませんわ」
                  「…………」
                   二人がかりで責められたが、父様に響いた様子はない。
                   無言で何かを考える素振りを見せた父様は、ふむ、と軽く首を傾げる。立ち上がった彼は、私の傍へと寄ってきた。
                   思わず身構えた私の頭に、大きな手が置かれる。
                  「ぅえっ!?」
                   わしわしと、遠慮のない力で髪をかき混ぜられた。
                   突然、頭を撫でられて目を白黒させる私を、父様は面白がるように眺めている。そして、満足そうに目を細めた。
                   普段はぴくりとも動かない口角が、僅かに弧を描く。
                  「よくやった」
                  「…………」
                   今度こそ、呼吸が止まった。
                   さっきも十分驚いたけれど、一応耐性があった。前にも一度だけ、誉められた事があったから。
                   でも、こんなのは想定外。
                   普通に父親が子供を誉めるみたいなの、驚くなと


                  IP属地:广东来自Android客户端9楼2021-07-06 22:04
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                    普通に父親が子供を誉めるみたいなの、驚くなと言う方が無理だろう。
                     しん、と沈黙が落ちる。
                     室内に人間が四人もいるというのに、誰も言葉を発しないという異様な時間が十数秒過ぎた。
                    「……明日は槍が降るな」
                     兄様が蒼い顔で独り言を洩らす。
                     弾かれたように顔をあげた母様は、私の頭に載った父様の手を、無言でぺいっと退かした。
                    「大丈夫よ、ローゼ。雪でも槍でも天変地異でも、母様が貴方を守るわ」
                     鳥の巣みたいになってしまった私の髪を手櫛で整える母様は、慈愛の籠った笑みを浮かべる。
                    「相応しい表情と言葉を選べと言ったのは、お前だろう」
                    「怖いものを見てしまったわね。薬を飲んで、少しお休みなさい」
                     父様の抗議を黙殺した母様は、私の頭を宥めるように撫でる。
                     酷いと思うよりも先に、分かると思ってしまった。父様の笑顔とか、見慣れてなさすぎて刺激が強い。見てはいけないものを見てしまった感さえある。
                     家族三人に散々な扱いをされても、父様は相変わらずのマイペースだった。
                     再び椅子に腰かけ、疲れたと言いたげな溜息を吐く。疲れたのは寧ろ、私達の方なんですが。
                     それから話の続きへと戻ったのだが、功労者として花音ちゃんとレオンハルト様、そして私と魔導師の皆に、褒美をくれるらしい。
                    「花音ちゃ……花音様には、何を?」
                     とても頑張ってくれた花音ちゃんには、私からもぜひ何か送りたい。でも、桃太郎みたいに金銀財宝用意したところで、地球に持って帰れるのだろうか。
                     あちらの世界からすると異物扱いになって、帰還を邪魔してしまったらと考えると迂闊な行動は出来ないからね。
                     私の言いたい事を理解したのか、父様は「客人の望みは物ではない」と言った。
                    「詳しい内容は本人に聞くといい。十日後には帰る予定だから、それまでに体を治せ」
                    「えっ!?」
                     花音ちゃんが近々帰らなければならないのは分かっていたのに、父様の言葉にショックを受けた。
                     十日後と具体的な数字を示されて動揺する。
                    「ズレなく帰す為には、一日でも早い方がいいからな」
                    「……そう、ですよね」
                     花音ちゃんの為を思えば、それが最善。でも寂しいし、哀しい。
                     項垂れた私の頭を、母様が撫でる。
                    「それから、お前とレオンハルトの褒美だが、私からは何もしない」
                    「え」
                    「どうせ同じ望みだろう。なんでも許可してやるから、さっさと話し合え」
                     父様は、ふんと鼻を鳴らす。
                     なんとも雑というか、投げやりな言葉だが、不満を持つ余裕さえなかった。
                     私とレオンハルト様の願いが同じもの……本当に?
                     期待と不安がせめぎ合う。素直に喜ぶ自分と、逃げ腰になって予防線を張る自分が同居している。
                    「後で寄越すから、それまでに支度を済ませておけ」
                     尊大に言い放つ父様に、私は上の空で頷いた。


                    IP属地:广东来自Android客户端10楼2021-07-06 22:05
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                      239
                      転生王女の愛猫。
                       緊張する……。
                       胃の辺りを擦りながら、私は溜息を吐き出した。
                       父様と兄様が帰った後、母様に手伝ってもらって簡単に支度をした。といっても入浴の許可は出ないので、体を拭き清めて着替えただけ。
                       腕を鼻先に近付けて嗅いでみる。一応臭くはないと思う。思うけど……心配だ。汗臭いと思われたら死ねる。
                       挙動不審な私の視線は、時計と扉との間を既に何往復もしていた。
                       レオンハルト様が部屋に来ると父様は言っていたけれど、具体的に何時なの?
                       聞いておけばよかった。いつ来るか分からないから、支度が終わってからずっと緊張のし通しだ。
                       落ち着け、落ち着くのよ。
                       今からこんなんじゃ駄目。
                       これから私は、レオンハルト様に気持ちを確かめるという重大なミッションが待ち構えているんだから。
                       ……そう、気持ちを確かめる。てことは、逆プロポーズに近しい事をするんだよね。え、出来る? レオンハルト様に逆プロポーズ? 私が??
                       いやいやいや、無理無理無理。
                       好きって伝えるだけでも失神しそうなのに、結婚してくださいって? 無茶だ。下手したら私、その場でショック死する。
                       でも、じゃあどうすればいいの。
                       会話の流れで上手く水を向けて、レオンハルト様から言葉を引き出すとか。
                       結婚しますか的な言質を取る方法でいく?
                       それこそ無茶でしょ。
                       どんな奇跡が起これば、そんな言質を取れるんだよ。普通の会話でさえ挙動不審になっている私が、そんな高等技術を使えるはずがない。
                       ……でも、諦めるのは嫌だ。
                       やる前から出来ないと決め付けてないで、まずチャレンジしてみる事が大事、だと思う。たぶん。
                       それに、夢でも聞き間違いでもなければ、レオンハルト様は私を好きと言ってくれた。あ、愛しているとも言ってくれた……気がする。
                       なら結婚も視野に入れてくれているかも。あとは私が上手く話を運びさえすれば……いや、それが難しいって話をしていたんだった。
                       こんな事なら、もっとちゃんと勉強しておけばよかった。
                       社交界デビューはまだだけど、お茶会という情報収集にうってつけの場があったのに。
                       ここにきて、最低限の社交しかしてこなかったツケが回ってきてしまった。
                       もしくは前世でも積極的に恋バナに参加すべきだったわ。
                       美容室で時間つぶしに開いた雑誌に載っていた、『付き合って〇年目の彼氏にプロポーズしてもらう方法』をもっとちゃんと熟読しておけばと、今更悔やんでも遅い。
                      「うぁー……」
                       奇声を洩らしながら、顔を覆う。
                      「ネロォ~……」
                       ベッドの傍にある籠に手を伸ばしかけて、固まった。
                       悩んでいる時の癖で、いつものように愛猫に癒しを求めてしまった私の視線の先には、からっぽの籠。
                       ラタンの籠に敷き詰めたクッションの上に丸まって、鬱陶しいと言いたげに片目を開けてこちらを見てくれる子は、もういない。
                       宝石よりも綺麗な蒼い目のあの子は、もう。
                      「…………そう、だった」
                       ぽすんと、布団の上に力なく手を投げ出す。
                       ヘッドボードを支えにして重ねた枕とクッションに、体を預けて天井を仰ぐ。
                       唐突にいなくなってしまったからか、実感が湧かない。
                       今も、城の中を自由に散歩しているんじゃないかと頭の隅で思っている。お腹が空いた頃にひょっこりと現れるんじゃないか。寝て起きたら籠の中で眠っているかも。そんな現実逃避みたいな事ばかり考えてしまう。
                       馬鹿みたい。世界中探しても、あの子はもう何処にもいないのに。
                      「……あはは」
                       乾いた笑い声が、酷く虚ろに響く。
                       誰も部屋にはいないのに、誤魔化すみたいに顔を片手で隠して目を閉じた。
                       実感がないと理由を付けて、寂しさと哀しさから目を逸らす。
                       それでも、胸に穴が開いたかのような空虚さだけは誤魔化しようがなかった。
                      「……?」
                       ふと、耳に小さな音が届いた。
                       いつの間にか眠ってしまっていたらしい。不明瞭な頭で、起きなきゃと思う。
                       けれど、ぬるま湯に浸かっているような感覚が心地よくて、目を開けられない。
                       手触りの良いシーツと、お日様のにおいがするクッション。
                       薄手のカーテン越しの光が、瞼を透かして仄かにきらめく。喧噪は遠く、葉擦れの音のよう。煩過ぎず、静か過ぎず。
                       私を取り巻く全てが、眠りへと誘う。
                       ゆりかごの中にいるみたいに、とても幸せな気持ちでもう一度眠りに落ちようとした。
                       そんな私を引き留めたのは、小さな声だった。
                      「こら、駄目だ」


                      IP属地:广东来自Android客户端11楼2021-07-06 22:05
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                         艶のある低音が、苦笑するみたいな響きを含んで告げる。
                         眠っている私に配慮してか、内緒話みたいなボリューム。それでも引き留められたのは、部屋が静かだったからじゃない。
                         寝ぼけていても、一番好きな人の声だと分かったからだ。
                        「ん? オレでは嫌か。だがすまんな、少しだけ我慢してくれ」
                         幼子に語り掛けるように優しい声で、彼は誰かに語り掛ける。
                        「もう少し寝かせてさしあげたいんだ」
                         そんな彼の言葉に抗議するみたいに、小さな鳴き声が聞こえた。
                         にゃあ、と。
                        「聞き分けてくれ。な……って、こら、駄目だって」
                         少し慌てた声。すぐ後に、寝台に僅かな重みがかかって、軋む音がした。
                         寝具の上の小さな重みは、彼の制止も聞かずに寝台の上を移動する。お腹の上に置いてあった手に、ふわふわの毛が触れた。
                         顔の横に何かの気配を感じる。呼気が掠め、次いで濡れたものが頬に触れた。
                         さり、さりと、何かが私の頬を舐める。
                         ザラザラの感触は少し痛い。その痛みさえも、馴染み深いもので。
                         体が大きく震えた。
                         夢だ。夢に決まっている。
                         私は今、幸せな夢を見ているんだ。
                         必死に自分に言い聞かせる。
                         だって一度希望を持ってしまった後に幻だったと知ったら、今度こそ立ち直れない。苦しくて悲しくて、立ち上がれなくなってしまう。
                         彼が困ったように溜息を吐いた後、小さな声で「なんて羨ましいことを」と呟く。
                        「……しょうがないか。お前もこの方が大好きなんだよな」
                         慈愛の籠った声に勇気をもらって、少しだけ目を開ける。
                         ぼやけた視界に映るのは、顔の傍の黒い毛玉。そしてその小さな頭に手を伸ばす、大好きな人。
                         そっと撫でて、彼はくしゃりと破顔する。
                        「オレもなんだ。一緒だな」
                         彼の言葉に返事するみたいに、にゃあと一声鳴く。
                         そして私の方を向いたのは、蒼い瞳の黒猫。
                         空よりも青く、海よりも碧い。
                         綺麗な瞳の愛猫、ネロは、もう一度私の頬を舐めた。「おはよう」って言っているみたいに、にゃあと可愛らしい声で鳴く。
                        「…………ネロ?」
                         声が震える。
                         目と鼻の奥が熱くなって、叫びたくなるような感覚が込み上げた。
                         夢じゃないと確かめたくて手を伸ばす。けれど触れる直前に躊躇して手を止めたのは、私の弱さだろう。
                         ネロはきょとんとした顔で首を傾げる。
                         そして撫でるならさっさと撫でろと言わんばかりに、伸び上がって、私の掌に頭を擦り付けた。
                        「……っ」
                         馴染み深い感触に、胸が締め付けられた。
                         衝動のままに、小さな体を抱き締める。
                        「ねろっ、ねろぉ……っ」
                         ぼろぼろと両目から涙を流しながら、しゃくり上げる。
                         好きな人の前だからと取り繕う余裕もなく、幼い子供みたいに声をあげて泣いた。
                         涙でぼやけた視界に映るレオンハルト様は、呆れた様子もなく、ただ酷く優しい笑みを浮かべている。
                         大きな手が、私を驚かさないようにそっと背を擦ってくれた。
                         よかった。
                         どうしてネロが無事だったんだろうとか、今までどこにいたんだとか、今はどうでもいい。
                         私の大切な子が、生きていてくれた。
                         それ以上に大切な事なんて、一つもない。


                        IP属地:广东来自Android客户端12楼2021-07-06 22:06
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                          240
                          転生王女の最愛。
                           私がわぁわぁと泣き喚いている間、大人しく抱き締められていてくれたネロだが、落ち着いたのを見計らったかのように腕から抜け出した。つれないとは思わない。寧ろよく、今まで付き合ってくれたものだ。
                           定位置である籠の中に丸まった姿を見て、改めて嬉しくなる。ああ、帰ってきてくれたんだと実感出来た。
                           ぐす、と鼻を鳴らしながらも笑っていると、大きな手が伸びてきた。節くれだった指が、涙に濡れた私の頬を撫でる。
                           至近距離で私を映すのは、濁りのない黒曜石の瞳。普段は凛々しい美貌が、甘く蕩けるように微笑む。
                           ネロが帰ってきてくれた事が嬉しすぎて、現在置かれている状況が頭からすっぽ抜けていた私は、ぱちくりと目を瞬かせた。
                           一瞬、何が起こっているのか本気で分からなかった。
                           でもすぐに、そういえばレオンハルト様がネロを連れてきてくれたんだと思い出して、そこから数珠繋ぎに引っ張り出される形で、色んな事が頭に蘇る。
                           かぁああ、と沸騰する勢いで顔が熱くなった。
                           なんて姿を見せたんだ!
                           そして現在進行形で、どんな酷い顔を見せているんだろう、私!?
                           涙や汗や色んなものでぐちゃぐちゃな顔面を好きな人に覗き込まれているんだと理解すると、今度は血の気が引く。
                           まって、鼻……鼻垂れてないよね!?
                           涙も汗も嫌だけど、鼻水だけは勘弁して。同じ体液カテゴリでも、許容出来るかどうかの明確なラインがそこには存在するんだ。あと涎も勘弁。
                           蒼褪めた私は、レオンハルト様から視線を逸らして身を引く。
                           彼の手が一瞬、ビクリと震えた気がしたけれど、深く考える余裕はなかった。
                          「……姫君?」
                          「あまり見ないでください……」
                           消え入りそうな小声で呟いてから、何か拭くものがないかと周囲を窺う。
                           水の入った桶の横に置いてあった手拭を取って、色んなものに塗れた顔をそっとぬぐった。
                           酷い顔をこれ以上見られたくなくて、目元を隠すように手拭を当てる。
                           これから、どうしよう。
                           感情は落ち着いてきたとはいえ、顔は未だに酷いものだ。あれだけ泣き喚いたんだから、顔の腫れもそう簡単には引かないだろうし。
                           てことは、こんな某ベーカリー系ヒーローみたいな顔で逆プロポーズするの? 難易度上がってない? そして成功率は著しく下がってないか?
                          「姫君……」
                           呼びかけられて、私の肩が跳ねる。少し低い声と真剣な様子に、大事な話をされる前触れのようなものを感じてしまったから。
                           心の準備が、全く出来ていない。
                           良い話でも悪い話でも、今は無理だ。仮に、私にとても都合の良い話だと見積もっても、鼻垂らしながら聞くのは、恋する乙女としてキツい。無理だ。
                           故に私は、レオンハルト様が話を切り出そうとしている空気に気付かないふりで、自分から話を振った。
                          「れ、レオン様のお怪我の具合は如何ですか?」
                           虚を衝かれたように、一拍の間が空く。
                           レオンハルト様は少し戸惑った様子を見せてから、左手を上げた。手拭で顔を隠した隙間から覗き見ると、親指と人差し指に包帯が巻かれている。
                          「オレはこの通り、掠り傷です。フヅキ殿も負傷しましたが、地属性の魔導師殿の治療を受けて、完治したそうです。傷跡も残っていないそうですよ」
                           掠り傷な訳ないけれど、たぶん私を心配させない為の言葉だから、それ以上は聞かなかった。
                          「良かった」
                           密かに花音ちゃんの事も気になっていたので、教えてもらえて良かった。咬み傷って、大変な事になる可能性もあったし、それでなくても女の子に傷跡が残ってしまうのは、心が痛む。
                          「テレマン医師のところで偶然お会いしたんですが、お元気そうでした。貴方の事を、とても心配されていましたよ。オレが貴方に会いに行くのだと知ると、狡いと何度も言われました。連れてけ、とも」
                           苦笑いを浮かべながら言うレオンハルト様に、小さく笑みを返す。
                           私も会いたいから、一日も早く元気にならなきゃ。
                          「大事な話があるので、連れていけませんと断りましたが」
                          「!」
                           ぎくり、と体が強張る。
                          「姫君」
                           逃げ道を塞ぐような声に、混乱が酷くなった。
                           待ってほしいと伝える前に、手を取られた。
                           痛くはない力加減だけれど、振り払えない強引さがある。顔を隠す為に押し当てていた手拭ごと手を引かれ、真っ赤な顔がレオンハルト様の前に晒されてしまう。
                           いやだ。
                           こんな顔、見せたくない。
                           顔に熱が集まっていて、鼻の奥がつんとする。
                           鼻水も嫌だけど、鼻血も嫌だ。


                          IP属地:广东来自Android客户端13楼2021-07-06 22:07
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                             情けない。なんだって私は、こうなんだろう。
                             御伽噺のお姫様みたいに、乙女ゲームのヒロインみたいに、可憐で格好良くありたいのに。全然上手くいかない。何一つ思い通りにならない。
                             じわりと涙が滲みそうになって、慌てて俯く。
                             レオンハルト様と視線を合わせられないまま、黙り込んだ。
                             室内に沈黙が落ちる。
                             長く続いたようにも思えたが、もしかしたら数秒の間だったのかもしれない。重苦しい空気を破ったのは、レオンハルト様の硬い声だった。
                            「……嫌ですか」
                            「……え?」
                            「それとも怖くなりましたか」
                             恐る恐る顔を上げると、声と同様にレオンハルト様の表情は硬い。
                            「確かにオレは面倒な男です。その上、とてつもなく重い。貴方が怖気づくのも仕方のない事でしょう」
                            「……?」
                             面倒とか、重いとか。心当たりがなくて首を傾げるばかりだ。
                             寧ろ、それはまるっと私の事だと思うし。
                            「それでもオレは、貴方を……」
                             言葉が途切れる。
                             暫しの沈黙の後、レオンハルト様は私を真っ直ぐに見た。
                             再び伸びてきた手に身構えてしまったのは、反射的なものだった。決して拒絶ではない。でもそんなの、説明しなきゃ伝わるはずもなく。
                             レオンハルト様の表情が変化する。眉を下げて目を切なげに細めた彼の顔は、悲壮と表現しても過言ではなかった。
                             傷付けたと気付いたのは、僅かに遅れてから。呆けていた私は我に返り、慌てて誤解を解こうとした。
                             でもその前に、レオンハルト様が動く。
                             立ち上がって、掴んだままだった私の手を枕へと押し付ける。
                             寝台に片膝を突いて乗り上げたレオンハルト様は、ベッドヘッドに片手をついて、私を囲い込むように覆いかぶさった。
                             寝台の軋む音と同時に、枕代わりにしていたクッションの一つが転がり落ちる。
                             現実味のない出来事に流されるまま、私はその軌跡を目で追った。
                             それから視線を、間近にある端整な顔へと向ける。ぱちぱちと、ゆっくり瞬きを繰り返した。
                             理解が追い付かない。
                             薄く唇を開けた間抜けな顔のまま、ただレオンハルト様を見上げる。
                             涼しい目元に凛々しい眉。整った鼻梁に形の良い唇。精悍なラインを描く頬と顎。三十路にさしかかったというのに、衰えというものが一切見つけられなかった。美術品と並べても遜色のない美しさなのに、女性めいた部分がまるでない。私の好みをぎゅっと詰めたようなお顔に、ぼぅっと見惚れた。
                             そうしている間にも、どんどんレオンハルト様の顔が近づいてくる。焦点が合わなくなったと思ったら、唇に呼気を感じた。
                             けれど触れる寸前で止まる。
                             躊躇うような間の後、触れ合う事なく離れていく唇を『寂しい』と感じた。
                             そして私は事もあろうか、その本能とも呼べる感情に従ってしまった。
                             遠ざかる彼の顔に、今度は私から近付く。
                             伸び上がるように、唇を寄せた。
                             驚きによって見開かれた目と同じく、僅かに開いていた唇目掛けて。


                            IP属地:广东来自Android客户端14楼2021-07-06 22:08
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                              241
                              ※近衛騎士団長 レオンハルト・フォン・オルセイン視点です。
                              騎士団長の最愛。
                               ちゅ、と。
                               オレにはまるで似合わない可愛らしい音がした。
                               呆気にとられて見開いたままだった瞳に映るのは、愛しい人の顔。
                               美しい形の柳眉に、整った鼻梁。花弁の如き薄紅色の唇。惚れた欲目を抜いても、オレはこの人ほど美しい人を見た事がない。
                               泣き腫らして赤くなった目元も乱れたプラチナブロンドすらも、彼女の美貌を欠片も損なう事はなく。寧ろ清楚な色香を醸し出していた。
                               伏せた長い睫毛がふるりと揺れる。瞼を押し上げて現れた瞳の美しさに言葉を失った。晴天の空よりも澄んだ青い瞳は涙に濡れて、まるで凪いだ湖面のようだ。
                               そこに自分が映っていることが、とんでもない奇跡だと思える。
                               頭がまったく働かない。ぼんやりとしたまま、唇を一瞬だけ掠めた柔らかな感触を追って、自分の唇に触れる。硬い指先の感触は、今さっきの柔らかさとは天と地の差があり、つい名残を惜しむようにローゼマリー様の唇を見つめてしまう。
                               すると、オレの動作を目で追っていた彼女は、何度か瞬きをしてから、耳まで赤くなった。
                              「ごごごご、ごめ、ごめんなさ……っ!」
                               真っ赤な顔で慌てふためく様は愛らしいけれど、それどころではない。
                               羞恥で体温のあがった手首の熱さが、掴んだままだったオレの手にも伝わる。じんわり汗ばんでくるのが生々しくて、思わず喉が鳴った。
                               生きているからこその反応。つまりこれは、白昼夢ではない。オレに都合のいい妄想でもないという事だ。
                               ローゼマリー様の意思で、オレに口付けてくれた。
                              「……っ」
                               まず押し寄せたのは歓喜。
                               そして少し遅れて、大きな疑問が頭を占めた。
                               オレは、振られそうになっていたのではなかったか?
                               魔王と対峙した時に晒してしまった粗野な言動に、引かれたのか。
                               それとも大人だと思っていた男の、あまりに無様な様に引かれたのか。
                               三十路の初恋とか、重すぎたとか。
                               もしくは嫉妬深くて呆れた?
                               思い当たる事ばかりで、逆に悩む。どれだ。全部か。
                               でも口付けてくれたという事は、もしかしたら完全に嫌われた訳ではないのかもしれない。
                               生まれかけた希望を胸に、じっとローゼマリー様を見つめる。
                               逃げようとするのを、手を引いて止めた。
                               顔を寄せて、至近距離で覗き込んだ目が涙で潤む。
                               真っ赤な顔で泣きそうになっている彼女は、嗜虐心と庇護欲を同時に擽る。
                               ああ、可哀想になと他人事のように思った。
                               こんな男に捕まってしまって、可哀想に。
                               掴んでいた手首から掌へと手を滑らせる。指と指を一本ずつしっかり絡めてから、小さな手を握り込んだ。
                              「レオンさま」
                              「オレが嫌になったのでは無い?」
                               吐息が重なる距離で問いかけると、蒼い瞳が丸くなる。思いも寄らない事だと言いたげな反応に勇気を貰った。
                              「嫌になんて……っ!」
                              「……うん」
                               ローゼマリー様は、必死に首を横に振る。
                               それが嬉しくて、嬉しくて。
                               だらしなく顔を緩めたオレは、彼女の額にそっと己の額をくっつけた。
                              「れ、れおん、さまっ」
                               顔が近いのが恥ずかしいのか、ローゼマリー様はきょろきょろと忙しなく視線を彷徨わせる。
                               ああ、可愛い。愛しい。
                               もう手放せない。どうあっても貴方だけは、絶対に。
                               じっと瞳を見つめていると、観念したように視線がこちらを向いた。光を弾いた蒼い瞳が、波打ち際みたいにキラキラと輝く。
                               吸い寄せられるように顔を近づけて、口付ける。
                               合わさった唇の柔らかさに、陶然と酔いしれた。
                               少しだけ離れて目を開けると、ローゼマリー様は目を見開いたまま固まっている。
                               その顔が可愛らしくて、赤くなった目元に口付けた。それに驚いたのか、細い肩が大きく跳ねる。
                               しっぽを掴まれた猫のような反応をする体を感情が命じるまま抱き締めると、更に彼女の体が硬直した。
                              「オレは、貴方を諦めなくていいですか」
                              「……っ」
                               息を呑む音がした。
                               その後、オレの背に細い手が回る。
                              「諦めては、嫌ですっ」
                              「はい」
                               ぎゅうぎゅうとしがみ付いてくる可愛い人を、腕の中に囲い込む。
                               胸に湧き上がる愛しさを少しでも伝えたくて、ローゼマリー様の頭に頬を摺り寄せた。
                               腹の底に溜まっていたどす黒い気持ちが、嘘のようにするりと解ほどけていく。
                               さっきまで、焦りと不安と嫉妬に飲み込まれそうになっていたというのに、現金なものだ。
                               


                              IP属地:广东来自Android客户端15楼2021-07-06 22:08
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