4話 おっさんと少女、ふたりの晩ごはん~豆と豚のスープと焼き林檎パン~
呪詛解除を終えて一息ついたとき、少女の足元に装飾具が落ちているのに気づいた。
拾ってみると禍々しいデザインの黒い首飾りだった。
おそらく呪詛に用いられたものだろう。
まじないや魔法関係のスキルは装飾具を利用すると効果が高まる。
「この首飾りに見覚えはあるか?」
少女が無言で頭を横に振る。
腰まである長い髪がその動きに合わせて重たく揺れる。
蜂蜜色の髪は長い間洗っていなかったのか、埃や泥でかなりくすんでいた。
「使いたいか? 呪詛はもう解いたから、持っていても別に問題はないぞ」
少女はさっきよりきっぱりとした仕草で頭を横に振った。
(自分にかけられていた呪詛にまつわる装飾具なんて、そりゃあ身につけたくないよな……)
「ならこれは街で金に換えてしまおう。それまで俺が預かっておくな」
「うん」
やっと小さな声が返ってきた。
もう傷は癒えているはずなのに、負傷したフェンリルだったときと変わらないぐらいか細い声だ。
まだどこか痛むところがあるのか。
心配になって確認したが大丈夫だという。
もともと大人しい子なのかもしれない。
「さて、とりあえず暮らしていた街の名を教えてくれるか」
俺は少女を家まで送り届けてやるつもりでいた。
どうせ流れ者の身だ。
目的地が決まっているわけではない。
ところが俯いている少女から戻ってきたのは予想外の返事だった。
「帰るところは……ないから……」
「え? 帰るところがないって……家族はいないのか?」
「家族も……ない」
(ない……? 天涯孤独ということだろうか)
「だが呪いをかけられる前、生活していた場所はあるだろう? そこへ送ってやろうか?」
「……!」
尋ねた途端、少女が弾かれたように顔を上げた。
長い前髪の奥の青い眼が見開かれている。
その瞳に浮かんでいるのは恐怖だ。
彼女は心底怯えきっていた。
(年端もいかない少女がこんな顔をするなんて……)
いったいどんな目に遭ったのか。
少女が恐れているものはわからないが、俺はやるせない気持ちになった。
「だ、だめ……。あそこには戻りたくない……っ。……なんでもするから、だからあそこには戻さないで……」
真っ青な顔をして、縋るように俺のズボンを両手で掴んできた。
その指が小刻みに震えている。
「わかった。何もしなくていい。おまえが嫌なら戻したりはしないから安心しろ」
「ほんとに……?」
「ああ、約束する」
俺は膝を着いて目線を合わせてから、強く頷いてみせた。
少女が前髪の隙間から俺を見つめ返してくる。
彼女が強張っていた肩から力を抜くのを見て、俺もホッとした。
だが問題は残っている。
まだ子供だから近くの街に送り届けて終わりではまずいだろう。
(そうはいっても俺が育てるなんて無理な話だしな)
なんせこの年まで独身の身だ。
子育てなんてまったくイメージがわかない。
まして相手は女の子。
おっさんとのふたり旅なんて嫌に決まっている。
(となると誰か信頼できる者に預けるべきだろうが……)
俺の脳裏にバルザックの街が浮かんできた。
ちょっと遠いが、あの街以外、知り合いはいないしな。
俺がバルザックに連れて行って世話をしてくれる人間を探してやると伝えたら、少女はオロオロして申し訳なさそうにした。
遠慮をする癖がついているのだ。
この子がどんな環境で育ってきたのか、彼女の生い立ちが気になる。
けれどさっきの震えていた姿を思い出すと、安易に尋ねることなどできなかった。
そのとき、ぐうーっと音をたてて少女の腹が鳴った。
「あ……」
恥ずかしそうに頬を赤らめて、少女が自分の腹を押さえる。
張りつめていた空気が和むのを感じながら、俺は笑った。
「ははっ。夕飯にするか。実は俺もまだ食べていないんだ」
「ごはん……いいの……?」
「ああ。どうせ出発は朝になってからだ」
夜は魔物がうろついているし、俺だけならまだしも少女を連れての旅だ。
危険な行動は極力避けたい。
「野宿で悪いが、飯を食べてちゃんと休んでおこう。一番近い街でもこの森から半日はかかるからな」
というわけで夕飯の準備をはじめる。
まずは手頃な枝を集めて、火おこしだ。
普段はマッチを使っているのだが、ふと閃いた。
(スキルを使って火をつけてみるか)
もし本当に力が戻っているのなら、20代の頃のように力の加減をしなければならない。
俺は指先に神経を集中させ、慎重に詠唱をはじめた。
《火炎の聖霊、怒りの炎を我に貸し与えたまえ――火魔法サラマンダー》
ぶわっと手のひらが熱くなり――。
「なっ……!?」
とんでもない威力の業火が俺の手のひらから放たれた。
火を起こすどころではない。
集めた枝だけでなく炎の飛んだ先の木々は、一瞬で塵と化した。
かなり手加減をしたはずなのになんてことだ。
「おい、怪我をしなかったか!?」
俺は慌てて少女に駆け寄った。
少女はあんぐりと口を開けたまま立ち尽くしている。
「びっくりした……。でも平気……」
「よかった」
俺はホッと息を吐いて、枝を集め直した。
少女に離れているよう伝えて、もう一度試してみる。
人差し指の先に弱々しく火が宿れば十分だ。
イメージを固めてから、再度詠唱。
《火炎の聖霊、怒りの炎を我に貸し与えたまえ――火魔法サラマンダー》
ボオッと炎の上がる音がして、今度はちゃんと点火できた。
「あなたの魔法……すごい……」
傍らに立ち尽くしていた少女が感嘆の声をこぼす。
力を褒められるのなんて何十年ぶりのことだ。
胸の奥の辺りが、なんともくすぐったい。
「攻撃魔法スキルを日常生活で見る機会は少ないもんな」
「……それだけじゃない。力の加減、つけてたから……。そんなことできる人、出会ったことない……。火炎の精サラマンダーはひねくれ者なのに、あなたとは仲良しなの……?」
「……! ……おまえ」
(なんでサラマンダーの性質を知っているんだ)
攻撃スキルについて詳しく学んでいなければ知りえない情報だ。
ギョッとして俺が顔を上げると、少女が不安そうに体を強張らせた。
「ごめんなさい……」
「いや、俺こそ悪かった。脅かすつもりはなかったんだ。スキルの知識があったんで驚いただけだ。勉強したのか?」
少女は無言でこくりと頷いた。
なぜどんなふうになど、尋ねるのは難しそうだ。
「なんだ、そのー……。褒めてくれてありがとうな」
「……うん」
(俺はどうもガサツでいかんな……。今後は怯えさせないよう気をつけねば……)
ポリポリと頭をかきつつ、ステータスを確認する。
やはりHPの減少は見られない。
俺は安堵しながら背負っていた袋を下ろし、火の前にしゃがみ込んだ。
取り出したのは使い込んだ鍋、ナイフ、それから布にくるんだパンと林檎。
ズボンの裾で手の汚れを拭ってから、作業に取り掛かった。
最初にナイフでパンを切り分ける。
パンはガチガチに硬くて、薄く切るのは至難の業だ。
俺はこれでも我慢できる。しかし少女が一緒の間はもう少しまともなパンを買ったほうがいいだろう。
なんとか彼女の分が切れたので渡そうとしたとき、少女の手がかなり汚れているのに気づいた。
爪の中に入っている赤黒いものは血だろう。
今度も慎重に加減をして水魔法を出し、ためしに自分の手をゆすいだ。
それから少女の手を洗い、風魔法で乾かす。
「これでいい」
パンを渡して、少し考える。
「ちょっと待っていろ。そのままだと味気ないからな」
鍋を火にかけて熱する。
その間にナイフで林檎を薄切りにした。
鍋の上に手をかざすと……。
(よし、温まっているな)
そのうえに切った林檎を1枚ずつ並べていく。
ふにゃふにゃと柔らかくなってきたら、頃合を見て裏返す。
両面が焼けたら完成。
先ほど渡したパンを差し出させて、焼いた林檎をのせてやる。焼き林檎のせパンのできあがりだ。
「さあ、どうぞ」
少女はモゴモゴと感謝の祈りを捧げてから、小さな口を一生懸命開けて、はむっとパンに食らいついた。
その途端、前髪の向こうの瞳がキラキラと輝いた。
「ふぁあ……!」
口の中がいっぱいだから、感嘆の声しか出ないのだろう。
でもその声から美味しいと思ってくれていることが伝わってきた。
リスのように頬を膨らませて、うれしそうに咀嚼している。
気に入ってもらえて何よりだ。
俺も同じように林檎を並べたパンを頬張った。
うむ、美味い。
焼いたことで甘酸っぱさを増した林檎は乾いたパンとの相性が抜群だ。
次は温まった鍋に水をはって、乾燥したイリコ豆とトドロキ豚の干肉を茹でる。
イリコ豆は乾燥した状態でボリボリ食べることもできるし、茹でればふくらみかさましになる。
おまけに安価で手に入るため、冒険者なら誰でも持ち歩いている食材だ。
トドロキ豚の干肉からは、コクのあるいいダシが取れる。
熱せられて柔らかくなった干肉をスプーンで混ぜていると、油がゆっくりと広がりはじめた。
ここに旨みが詰まっているのだ。
月明かりの下で黄金色のスープがキラキラと輝くのをみて俺はごくりと唾を飲んだ。
少女もこのスープの味を気に入ってくれるといい。
クツクツ鍋を煮ている間に、近くに生えているハーブを取ってきた。
それも水魔法で良く洗ってから鍋に入れる。
鍋から上がる白いモヤが、食欲をそそるいい匂いへと変化した。
スープを飲むための容器は、銀色のマグカップひとつしかないので交互に使わなければならない。
まずは少女に。
相変わらず遠慮するので、いいからと何度も言い聞かせた。
「火傷しないように気をつけて飲めよ」
両手でマグを抱えた少女が、スープを見つめながら真剣な顔で頷いた。
それからフーフーと息を吹きかけはじめた。
息を吹くのが上手ではなくて、笑ってしまった。
「そろそろいいんじゃないか?」
俺が教えてやるとようやくマグを口元に近づけて一口。
「……! おいしい……」
あんまり表情が動かない子だけれど、おいしいと感じたときには子供らしい顔を見せてくれる。