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中村序
朱舜水は、周知のように明末の儒者で、明朝灭亡后、安南やさらに一六五
九年日本(长崎)に渡航して、南明复兴に尽くすとともに、日本の儒学に新风
を吹き込んだ。当时の日本には、贸易商人たけではなく、僧・学者・医师など
として在留する明人が多く、また日本にも南明复兴に共鸣する知识人は少なく
なかった。
汉民族の明朝から満州民族の清朝へという国家の変革の様子を、幕府教学
の顶点に立つ林大学头が「华が夷に変ずるの态」と评したように、名分论的な
考えかたや、复明运动への武器・兵员の援助要请(「乞师」)に対し、锁国下
の幕府要路の一部にさえ积极的に応じようとする动きがあった。亲藩である水
戸藩の藩主徳川光圀もその一人と目される。舜水は柳川藩儒の安东省庵・水戸
藩儒の小宅生顺らと师弟の関系を结び、光圀の知遇を得て、水戸学の形成に大
きな影响を与えた。しかし、舜水の死(1682年)前后には、求めによって、后
継希望者の渡来は続いたが、清朝の政治的基础が固まり、また锁国の祖法化が
进むに伴い、人的交流は急速に先细りの倾向にあったこともまた事実である。
舜水については、彼の死の直后から今日まで、日中两国で七种の全集の刊
行がなされ、研究は巻末の文献目录のように一四○编余に及び、日中交流史上
の関心の高さを示している。
本书の编注者徐兴庆氏は、本学大学院留学以来の数年间、舜水を中心とす
る日中関系史の実证的研究に専念している、まさに笃学の士である。本书は、
従来の全集に全く収录されていない舜水の书简四三通、笔语六二、问答二三通
をはじめ、舜水の手になる跋文や诗、それに部份的に抄录されてきた书翰二○、
问答八通の全文を掲げ、それぞれの相手(22 人)别に、年代を可能な限り比
定して年次顺に配列し、かつ适切な解说が付されており、舜水の知られざる侧
面や、従来不明了であった点が解明される。さらに安东省庵・人见竹洞などの
儒者や、当时长崎在住の黄檗僧、在留华侨である唐通事、舜水の后継者たらん
として渡来した孙の毓仁などの儒者、长崎町人の代表(町年寄)らの関系书简
を收录し、ひろく舜水の交友関系や学问的、社会的背景が明らかになる。また
跋・祭文・賛などからは、その后の日本人の舜水観が知られ、多角的な舜水研
究の新素材を提供するものである。
本书收录の新史料は、近年初めて公开された柳川古文书馆安东家史料(省
庵の末裔が寄赠)をはじめ、全国各地から收集したたもので、编者の饱くとこ
ろなき努力の结晶である。しかし同时に、阅覧・出版を许可された所蔵各机関
のご理解はもちろん、几多の関系研究者の温かい指导助言のたまものである。
换言すれば、舜水がそうであったように、舜水研究をめぐる「生きた日中文化
交流」の证の一つであるといえよう。
九州大学教授 中村 质
1992年1月30日


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