原文:
结成の経纬
――まずは、凛として时雨(以下、时雨)结成のいきさつから教えてください。
TK「元々は仆と345を含む四人でバンドをやっていたんですが、メンバーの就职でバンドが解散してしまったんですよ。そこで、バンドを続けようと残ったのが仆と345だったんです。当时はまた四人で活动したいと思っていたけど、新たにメンバーを二人见つけるのは大変なんで、とりあえず345はボーカルとやったことのなかったベース、仆もやったことのなかったボーカルとギターという编成で活动していました」
――そこでツイン・ボーカルになったんですね。通常より1オクターブ高く歌うようになったきっかけは何だったんですか?
345「いつの间にか高くなっていましたね」
TK「スタジオで初めて练习したときに、あまり声が聴こえなかったんです。そこで、上げてみたらどうなるのかな?って思ったのが発端ですね。だから、高くすることで切り裂いている感じや、ヒステリックさを出そうという狙いがあったわけじゃないんですよ」
――なるほど。では、この印象的なバンド名になった由来を教えてください。
TK「何となく日本语にしたいという思いがあって、キーワードの一つに、“凛として”が出てきたんです。で、仆のつくる曲について“急に降ってくる雨みたいだね”と言われたことがあったんで、“凛として”と“时雨”をくっつけた感じだったと思います...(笑)」
――日本语へのこだわりがあったんですね。その后メンバー・チェンジを経て、'04年にピエール中野さんが加入したきっかけは何だったんですか?
ピエール中野「时雨のホームページで曲を试聴して、ライブを见に行ったのが最初でした。そのうち自分の主宰イベントに时雨を诱うようになって、当时のドラマーが抜けることになったときに、试しに“叩かせてよ”と言ってみたんです。それで実际に叩いてみたら良かった、という感じですね」
――最初から好感触だったんですね。
ピエール中野「いや、最初は全く息が合わなくて、违和感がありました。当时は、“大丈夫なの?”といろんな人に心配されていたらしいけど、仆は时雨が好きだったし、バンドなんてすぐにでき上がるモノではないことくらい分かっていたから、周りの意见は気にしなかったんですよ」
TK「当初は、ドラムwithツイン・ボーカルみたいな感じでしたね(笑)。违和感があったのは、バンドの见せ方をそこまで确立できていなくて、三人が自分なりの解釈でやっていたからなんでしょうね。でも、直后に时雨初となる全国ツアーを行って、その中间あたりからだんだん驯染んできた感触がありました。そのツアーで、时雨の轴となる部分ができ上がったと今は思っています」
结成の経纬
――まずは、凛として时雨(以下、时雨)结成のいきさつから教えてください。
TK「元々は仆と345を含む四人でバンドをやっていたんですが、メンバーの就职でバンドが解散してしまったんですよ。そこで、バンドを続けようと残ったのが仆と345だったんです。当时はまた四人で活动したいと思っていたけど、新たにメンバーを二人见つけるのは大変なんで、とりあえず345はボーカルとやったことのなかったベース、仆もやったことのなかったボーカルとギターという编成で活动していました」
――そこでツイン・ボーカルになったんですね。通常より1オクターブ高く歌うようになったきっかけは何だったんですか?
345「いつの间にか高くなっていましたね」
TK「スタジオで初めて练习したときに、あまり声が聴こえなかったんです。そこで、上げてみたらどうなるのかな?って思ったのが発端ですね。だから、高くすることで切り裂いている感じや、ヒステリックさを出そうという狙いがあったわけじゃないんですよ」
――なるほど。では、この印象的なバンド名になった由来を教えてください。
TK「何となく日本语にしたいという思いがあって、キーワードの一つに、“凛として”が出てきたんです。で、仆のつくる曲について“急に降ってくる雨みたいだね”と言われたことがあったんで、“凛として”と“时雨”をくっつけた感じだったと思います...(笑)」
――日本语へのこだわりがあったんですね。その后メンバー・チェンジを経て、'04年にピエール中野さんが加入したきっかけは何だったんですか?
ピエール中野「时雨のホームページで曲を试聴して、ライブを见に行ったのが最初でした。そのうち自分の主宰イベントに时雨を诱うようになって、当时のドラマーが抜けることになったときに、试しに“叩かせてよ”と言ってみたんです。それで実际に叩いてみたら良かった、という感じですね」
――最初から好感触だったんですね。
ピエール中野「いや、最初は全く息が合わなくて、违和感がありました。当时は、“大丈夫なの?”といろんな人に心配されていたらしいけど、仆は时雨が好きだったし、バンドなんてすぐにでき上がるモノではないことくらい分かっていたから、周りの意见は気にしなかったんですよ」
TK「当初は、ドラムwithツイン・ボーカルみたいな感じでしたね(笑)。违和感があったのは、バンドの见せ方をそこまで确立できていなくて、三人が自分なりの解釈でやっていたからなんでしょうね。でも、直后に时雨初となる全国ツアーを行って、その中间あたりからだんだん驯染んできた感触がありました。そのツアーで、时雨の轴となる部分ができ上がったと今は思っています」