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语文学作品赏析《我が圆朝研究 「怪谈牡丹灯笼

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1楼2011-05-07 02:41回复
    三游亭圆朝初期の作品たる「怪谈牡丹灯笼(かいだんぼたんどうろう)」「镜ヶ池操松影(かがみがいけみさおのまつかげ)(江岛屋騒动)」「真景累ヶ渊(しんけいかさねがふち)」并びに代表作「怪谈乳房榎(かいだんちぶさえのき)」「文七元结(ぶんしちもっとい)」の诸篇を検讨してみよう。いわゆる欧化时代の横颜(プロヒイル)たる西洋人情噺の诸作については引き続いて世に问う『圆朝』后半生篇の附录に语ろう。「后开榛名梅ヶ香(おくれざきはるなのうめがか)(安中草三郎(あんなかそうざ))」や「粟田口霑笛竹(あわたぐちしめすふえたけ)」や「塩原多助一代记(しおばらたすけいちだいき)」もまた逸(はず)すべからざる代表作品であるがこれらの検讨もまた他日を期そう。
    


    2楼2011-05-07 02:41
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      まず速记そのものについていいたい、冒头に私は。
         ひと口に速记というもの、大方から演者の话风を偲ぶよしなしとされている。たしかにこれにも一理あってまことに速记は円盘と同じくかつて一度でもその人の话术に接したものにはいろいろの连想を走らせながら亲しむこともでき、従って话风の如何なりしかをおもい返すよすがともなるのであるが、そうでない限り、话术のリズムや呼吸、缓急などは、绝対分らないといってよかろう


      3楼2011-05-07 02:41
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        その代りその人の高座を知っているものに昔の速记はなかなかに愉しく、微笑ましかった。かりに「なか申しておりまして」というような口调の落语家ありとすれば、その通り速记もまた「なか申して」いたし、「客人何々を御存じか」などと风流志道轩の昔を今に大风(おおふう)な口の利き方の讲釈师ありせば、これまた、速记も同じような大口利いていたからである。往年、私の爱読した『桧山実记――相马大作』など「百猫伝」で知られた桃川如燕(じょえん)の速记だったとおぼえているが、开口一番、如燕自ら今日の讲釈师の不勉强不热心をさんざんにこき下ろして、さて本题に入っている。すでにここが今日のいやに整顿されてしまっている速记とちがっておもしろいが、さらに第何席目かの喋りだしにおいては「ここ二、三日、宿酔の気味で休みまして」と正直に断っている。何もそんなこといちいち断らずとも読者には分らないのであるが、それをハッキリと断り、速记者もまた克明にその通りを写して绍介しているところがいよいよおもしろい。好もしくもある。然るに――さらにさらに终席ちかくに至ると突然贞玉(ていぎょく)(?)とかいう人(のちの锦城斋典山(きんじょうさいてんざん)だろうか、乞御示教)


        4楼2011-05-07 02:41
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          なんとこういっている。
          「如燕先生は大酒が祟って没りました。で拠ん所なく今日からは私が……」云々。
             読んでいて私、ふっと睑の热くなってきたことを何としよう。もはやここまでくると『桧山実记』の是非善悪より、この速记をめぐって、ある人生の一断面のまざまざと见せられていることに何より私はこころ打たれずにはいられなかった。元よりこうした场合は异例ではあるが、话风の活写には间然たるところありとしても、多かれ少なかれ何か昔の速记にはこうしたありのままの浮世はなれた风情がある。また演者の生活や好みの一断片がチラと不用意に覗かれる、夏の夕风にひるがえった青帘の中の浴衣姿の佳人のごとく。そこを何より买いたいのである。
          


          5楼2011-05-07 02:42
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            いつからだろう、それが今日のような出鳕目至极のものとなり果ててしまったのは。
               私の记忆にして误りなくんば癸亥大震灾后、ようやくに文学というもの企业化し、全くのジャーナリズム王国筑かれて操觚(そうこ)世界へ君临するようになって以来のこととおもう。そのころ発兑(はつだ)の娯楽雑志関系者は故石桥思案、森暁红诸家のごとく、常盘木(ときわぎ)倶楽部落语研究会の青竹めぐらした栅の中から生れきた通人粋子に非ずして、大半はこうした世界の教养を持たない地方出身の人々だったから、落语家讲谈师の一人一人のデリケイトな话风に立ち至ってまで知るよしがない。また相手として呼びかくる読者の大半、これまた地方大众人に过ぎなかったから、いかに如実に演者の口吻を写しだしているか。そうした速记者の腐心など采り上げて买ってくれるよしもなかった。むしろ彼らはそうした风趣をば无用の夹雑物(きょうざつぶつ)と非し、ひたすら、物语本位、筋本位の安価低俗の构成を要求したのだろう。明治开化以来の爱読に価する讲谈落语の本格速记の伝统は、このときにして崩壊しつくしたりというも全く过言でない。
            


            7楼2011-05-07 02:42
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                 现に私は记忆している、昭和八、九年のころ现三笑亭可楽君(八代目)は某々纸上において自らの落语速记を、他の谁のであったか、全く别个の落语と半分ずつ接ぎ合わせたまやかし物を自演として発表され、大腐りに腐っていたことを。芸术の冒涜もまた、ここに至れば极まれりというべしである。落语家社会においてかりに前半に「天灾」を语り、后半たちまち「廿四孝」に映ることありとせば「掴み込み」と蔑称し、そは田舎廻りのドサ真打の仕草と嘲り嗤われてやまざるところのもの。往年の可楽君の悒郁(ゆううつ)、今に至るも察してあまりあるものである。あるいは全くその演者の演ぜざる物语にいい加减の名前を附し、発表されることも少なくなかった。例えば现文楽(八代目)が「和洋语」を演じ、现小さん(四代目)が「五人廻し」を演じている速记のごときである。
              


              8楼2011-05-07 02:42
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                ここ数年来、讲谈社の诸雑志など、顿(とみ)に讲谈落语の速记を尊重しだし、亲しく自宅へ速记者を派遣せしめ、また演者自らの执笔のかかるものを选びて掲载するなどの倾向を生じてきたのは喜びに堪えない。到底、往年の无用の用ある风雅味などは见るべくもないが、まだしもこれは実际の口演だけに取柄ありとしよう。ジャーナリズムはようやくにして话术の面白味の何たるかを悟り、これが尊重に目醒めてきたのか――然りとすればかつて片っ端から都下の井戸井戸を埋めさせた东京市の、近时、しきりに掘り返させているのにも似ているといえよう。
                


                9楼2011-05-07 02:43
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                  闲话休题――そういう风に速记というもの昔日のものといえども、高座人の话术の活杀はついに知らしむべくもなかったけれども、さすがに往昔の讲谈落语の速记の中からは演者の描写力や构成力や会话技巧のよしあしなど充分以上に汲み取ることができる。そうして一般话术家は元より、私たち作家にとってもそこに学ぶに足るもの多々ありといい切れる。
                  


                  10楼2011-05-07 02:43
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                    ことに圆朝の速记においては、そのころ若林□蔵(わかばやしかんぞう)子を始めとして当时の速记界の第一流人が挺身、これに当っている。闻说(きくならく)、若林□蔵子某席における圆朝が人情噺を私(ひそ)かに速记し、のちこれを本人に示したとき、声の写真とはこれかと瞠目せしめたのが、実に本邦讲谈落语速记の嚆矢(こうし)ではあるとされている。即ちそれほどの速记术草创时代だったから、圆朝の一声一咳は全篇ことごとく情热かけて马鹿正直にまで写しだされているのである。で、それらの速记をたよりとして圆朝つくるところの诸作品を、以下あなた方とともに検讨していこう。
                    


                    11楼2011-05-07 02:43
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                      完了


                      12楼2011-05-07 02:43
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                        犀利了。。


                        13楼2011-05-10 18:02
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